新宿梁山泊第38回公演
平成20年度文化庁芸術創造活動重点支援事業
リュウの歌
作:コビヤマ洋一 演出:李 潤澤(イ ユンテク) 演出協力:金 守珍
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韓国演劇界のカリスマ・李潤澤と
新宿梁山泊のコラボレーションで贈る
新たな都市ファンタジー |
5月9日(金)〜18日(日)
於:新宿 紀伊國屋ホール |
1992年、かつての演芸のメッカであった浅草に演劇で活気を取り戻そうと企画された下町演劇祭にて初演された。劇場は伝統あるストリップ劇場である浅草 フランス座。来日していた韓国の演出家 李潤澤氏が観劇し「時代をいくつも先取りした素晴らしい想像力を持った作品」と絶賛、自らがぜひ演出したいと熱望された。それから、16年。韓国で大学教授としても、売れっ子の脚本家としても多望な李氏とのコラボレーションはなかなか実現できないでいたが、李氏の熱意は消えることなく、2006年に自らの劇団「演戯団コリペ」にて韓国版として上演。2007年1月には下北沢スズナリにて来日公演を行った。その際に、長年の夢であった新宿梁山泊と自らの演出で上演したい、2008年には必ずやりたい、劇場は新宿 紀伊國屋ホールでやりたい!という希望を受け、今回実現の運びとなった。 |
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14:00 |
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19:00 |
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■於 新宿 紀伊國屋ホール
■料金 一般 前売予約3,800円/当日4,300円
学生 前売予約2,800円/当日3,300円(受付にて学生証提示)
(全席指定席)
■前売予約受付開始 4月7日(月)11時〜 |
〈キャスト〉
金 守珍・コビヤマ洋一・三浦伸子・渡会久美子・大貫 誉・沖中咲子・広島 光・米山訓士
目黒杏理・染野弘考・小林由尚・梶山竜矢・山村秀勝・南かおり・傅田圭菜・都築星耶
ぺい美香 他 新宿梁山泊一同
[特別出演]藤田 傅(劇団1980)
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〈スタッフ〉
●照明 趙 仁坤(チョウ インゴン)+ライズ
●美術 張 海根(チョウ ヘゴン)+百八竜
●衣裳 金 美淑(キン ミスク)
●音楽 元 一(ウオン イル)
●アクティングコーチ 李 承憲(イ スンホン)
●音響 N-TONE
●宣伝美術 梶村ともみ(画) 福田真一(DEN GRAPHICS)(デザイン)
●制作協力 (株)J・S・K
●制作 新宿梁山泊事務所 |
■■■ものがたり■■■ |
暗闇の中、原爆じじいと呼ばれる老人があるはずのない地平線を見つめて、つぶやく・・・
一転、明るくなると少年が上を見上げて叫ぶ。「来るよ〜!」すると、あちこちから人々が現れ、そこへ空からいろんな物が落ちてくる。群がる人々・・・。
ここは、地底の街、未来なのか、別世界なのかわからないそんな場所。人々は地上と地下に分かれて暮らしていた。地下に住む人々は地上からつながるダストシュートの廻りに集まり、地上から捨てられる物資で生活していた。
地下の人々は「リョクサイ」という老人によって統括されていた。
赤ん坊の時にダンボールに入れられて落ちてきたという少女リュウは生きながら身体が腐っていくという奇病に冒され、明日をも知れない命だった。何の為に産まれてきたのか、何の為に死ななくてはならないのか、
リュウは何処から来たのか・・・この地下世界とは・・・。
進化なのか、あるいは退化した都市の姿なのか、未来は決して夢の世界ではなく、そこに住むのは、今と同じ心弱く、優しい人間たち。
独特の感性で現代人の心情を愛情込めて描くコビヤマ洋一の都市ファンタジー。 |
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神話と現実、演劇と現実
<リュウの歌>について |
李 潤澤(イー・ユンテク)
(劇作家演出家 東國大演劇学科 教授) |
1990年代の日本小劇場演劇の意味
1992年、新宿梁山泊が初演した<リュウの歌>を見ながら日本の現代の小劇場演劇のポストモダンな特性を把握することができました。
1990年代の初め、当時日本の小劇場演劇は多様な小劇場公演スタイルが登場していました。名前すら覚えられない劇団の小劇場演劇が東京のあちこちで行われ、多くの客で賑わっていました。私は1990年に新宿/タイニイアリスでの<サンシッキム>、池袋/東京芸術劇場での<オグー死の儀式>の公演を機に日本の演劇界に足を踏み入れました。1991年には私の戯曲<火の仮面>が、日本の劇団「太虚―TAO」によって鈴木健二氏の演出で公演され、1992年にはタイニーアリス小劇場の企画・制作で日本小劇場演出を任せられもしました。今は故人となった岸田理生氏が戯曲を書き、宮城聡、美加里、近藤弐吉(現在は近童弐吉)、村松恭子等の日本小劇場俳優と、韓国の河ヨンブ、鄭 東淑が出演した<セオリチョッター歳月の恵み>という作品でした。この演劇は1993年に再演され、米国のニューヨーク、サンフランシスコ、シアトルで公演をしました。米国公演当時は寺山修司と作業をしていた日本俳優の若松武(現在は若松武史)が、河・ヨンブの代わりに参加しました。ソウルでも<演劇実験室ヘファ洞1番地>開館作品として行われました。
その当時私は、日本の演劇人達と会って互いの考えを披露しながら演劇という共同の課題を置いて討論し苦悶しました。「これからは民族的な特性だけを強調せず、ユニバーサルな演劇的課題を探せ」という太田省吾先生の言葉が今でもはっきり耳に残っています。新宿から中野まで居酒屋を夜通し徘徊しながら交わした太田省吾先生との対話は、今もなお、私に演劇的課題として残っています。<セオリチョッタ>をご覧になり、小劇場の前で巨人のように立ちながら私を待って下さった大笹吉雄先生は私を探して下さった真正な先生でした。山口昌男先生の‘足の演技’セミナーを聞きながら東洋伝統演戯が現代演劇の嗜好になり得るということを確認しました。私は最近、西堂行人の<韓国演劇への旅>を読みながら、韓国演劇への愛情を改めて感じることができました。1990年代、日本の小劇場演劇は個性と多様性が溢れていた演劇の全盛期だったと思います。劇団も評論家も観客も情熱的な時代でした。私はそのとき新宿梁山泊の<リュウの歌>を見、宮城聡演出の<サロメ>、平田オリザ演出の<東京ノート>とも接することになりました。金 守珍の<人魚伝説>は1991年にドイツのエッセン世界演劇祭で<オグ>と同じく公演され、平田オリザの<東京ノート>は2002年にフランスのサン・ドニ劇場の演劇会で私の<問題的人間演算>と並んでフランスに紹介されもしました。私達は日本と韓国の国境を越えて同時代の演劇的同志になりました。
現在の2008年、私は身の程知らずにも1992年に公演された新宿梁山泊の<リュウの歌>を演出しようとしています。勿論、金 守珍氏との共同演出を提案しました。私が演出をしても、これはどこまでも日本演劇であり、新宿梁山泊の演劇だからです。しかし、私は今回の演出作業を通じて1990年代の日本の小劇場演劇が持っていた演劇的価値と面白さを蘇らせようと思います。演劇は徹底した時間芸術であり、現在進行型の芸術です。それで過ぎ行く時間を耐え忍ぶ芸術ジャンルと言えます。そのうえ、1990年代の日本小劇場演劇は多すぎる個性と多様性が存在していたため、今その価値がきちんと評価され記録されていないようです。特に、軽く騒乱な感じを与えるポストモダンな小劇場は、その意味の価値が非常に下がりました。固定的な戯曲の台本もなく、漫画のような小劇場演劇は本当に一時の流行病のように過ぎてしまうものだったのでしょうか?私は日本の漫画の中で圧縮されていた社会的象徴を読み取りました。漫画のような日本の小劇場演劇の中で、自由で豊かな演劇性を発見したりもしました。私は、新宿梁山泊の俳優であるコビヤマ洋一氏が台本を執筆した<リュウの歌>の中で、神話と現実が絶妙に見合っていることを発見しました。これほど面白みがありつつも、演劇の垂直的想像力(神話)と水平的想像力(現実)がちゃんと見合っている演劇はなかなか探せないものです。単にその膨大な演劇的質料がそこまで現れていなかっただけです。
私は1990年代の日本の小劇場演劇<リュウの歌>を再解釈する立場で、演出作業に任しています。1990年代の演劇ですが、今の21世紀にも依然と有効な演劇的意味であり、これからも日本の小劇場演劇が解決して行くべき課題であると考えるためです。今回の私の演出作業は、そのような点で日本の小劇場演劇に対する私の関心と愛情の結果物になると考えます 。
捨てられた子‘リュウ’の話 ―天孫降臨神話の逆接的現実―
<リュウの歌>は、典型的な天孫降臨神話の構造をしています。この神話は多分日本の正体性と関連があると考えます。
空から聞こえる女神の声がこの作品の神話的背景です。この女神は誰なのでしょうか?歴史的には神功王后、卑弥呼等が日本の神話を構成する女神ですが。
リュウが住む都市の路地裏のごみ置き場には不思議なことに一本の木があり、井戸があります。この井戸の中に住む者がリョクサイです。リョクサイは空から聞こえる女神の声を伝え、星の種を管理する人物です。そうであれば、一本の木は神檀樹であり井戸は文明の発祥地で、リョクサイは神話を管理する司祭となります。彼は既に年が250歳を超えたと言えるでしょう。250年ならば日本が近代化される前(明治維新前)の日本の伝統社会が存在していた時代を意味します。このように<リュウの歌>に垂直的想像力で構成された神話は、日本の伝統社会の原型的構造を成しています。この伝統的構造を壊すミツナリは、リョクサイの息子です。にもかかわらず、ミツナリは結婚をして保健所長として生きて行く世俗的な人物です。神話の世界から現実的世界に自分の生を移したミツナリは、時々土の中から聞こえてくる幻聴を耳にします。日本社会において土の中から聞こえてくる幻聴は何を象徴するのでしょうか?地震や火山活動による世界消滅の意味と解釈されます。それならば、ミツナリは暗黒英雄神話の表象となります。彼はこのごみ置き場をなくすことで清潔な世界を夢見ます。しかし世の中は清潔にはなりません。万歳大師はこの世の最も汚い場所に救援があると説破します。万歳大師の存在は名前通り万歳幸福楽園を夢見る人物です。彼の信徒らは殆どが老人です。リョクサイが神話の原型を守る司祭であれば、万歳大師は世俗的な生の中で救援を説破する実践菩薩です。
<リュウの歌>は、空/女神の声―地上/神壇樹と井戸を守るリョクサイとこの世を飛び回る 万歳大使/ミツナリ―地下暗黒神話で構成された垂直的想像力が劇中の背景を成します。
演劇の主な舞台は都市の路地裏のごみ置き場です。おけらは妻を失った家長です。貧太はその息子です。ヤブサメは人の体を扱う医師です。彼は双子の兄であるサルマタ博士に世俗的名誉を奪われ、自らの位置を低くさせられた人物です。トウタはコンピュータ工学者ですが、自分が開発した新製品技術を奪われてしまった人物です。銀次は足が折れた陸上選手、夢子は堕落の道を歩んでいた芸能人で、タメコも廃棄処分されたオペラ歌手です。梅子は性病にかかり死にそうな売春婦で、ここに原爆じじいと呼ばれる被爆者のおじいさんも存在します。彼らは、全て都市で廃棄処分されたゴミ人間です。この都市で捨てられた人間達がリュウを育てています。リュウは空から降りてきた箱の中の赤子です(しかし実際にはビルから捨てられた赤子です。リョクサイの想像力が作り上げた神話的再生児です)。空から降りてきた子(天孫降臨)を、捨てられた人間達が育てるということが現代の逆説(アイロニー)です。これは現代社会が原型的神話を喪失していることを意味します。神話が喪失された世界の中で神話の再生を夢見る者達は捨てられた人間達であり、これは日本の小劇場演劇のアンダーグラウンドの性格をそのまま反映しています。日本の演劇が西欧演劇とアメリカニズムに染まっているとき、むしろアンダーグラウンド演劇である日本の小劇場演劇が演劇の原型的生命力である神話の再生を夢見るということは、意味のある文化的抵抗です。このような文化的抵抗が小劇場演劇のエネルギーとなっていることを、私たちは90年代の日本の小劇場演劇から確認できます。しかし、このような日本文化の独自性は、殆どが日本の漫画的想像力を借りていることが分かります。<リュウの歌>もまた、日本の偉大な漫画家である宮崎駿氏の想像力の影響を大きく受けたことを感じることができます。漫画はもうこれ以上大衆の娯楽物ではありません。同時代の想像力が最も象徴的に表現できるジャンルと言えるでしょう。日本の漫画はその先端を走っています。この日本の漫画的想像力がどのように演劇で表現できるかという点で<リュウの歌>は興味深いと考えます。漫画的想像力が演劇で表現する価値があるか?と誰かが聞けば、勿論!と答えます。漫画はどこまでも想像力の平面的表現メディアです。演劇は、言葉と体とイメージとリズムが成す立体的表現です。そのうえ、劇場体験こそ、そのどんな幻想もリアリティーを持たせることができる魅力があります。読者は漫画を通じて想像できますが、生き生きとした現実的な気持ちは体験できません。<リュウの歌>はその点で想像力の実際体験を通じて観客が笑い、そして泣きながら神話と現実の世界を感じることができるでしょう。これが正に演劇<リュウの歌>の演出意図でもあります。空の声、木、水、星の種、土の中から聞こえる声は日本社会のモチーフであり、ここから生命の源泉を見出します。この生命の源泉は捨てられた地、捨てられた人間達、捨てられた子供が守りながら受け継いで行きます。ここで私たちは日本の過去を読み、現在を自覚し未来を予感します。これが演劇の役割です。この全ての演劇的意味が決して楽観できるとは言えない未来を鬱に伝えはしますが、それにもかかわらず、演劇は明朗かつ楽天的で楽しく進められます。これもまた、決して絶望しない新宿梁山泊の演劇における健康的な楽天性ではないでしょうか。
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2008.4.1
(新宿梁山泊アトリエ:芝居砦・満天星にて) |
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李潤澤(イ・ユンテク/1952〜)略歴
劇作家・演出家。
釜山生まれ。ソウル演劇学校演劇科中退、放送通信大初等教育科を卒業。'79年詩人として文壇デビュー。'86年、釜山にて演戯団コリペ旗揚げ、'89年にソウルに進出し、演劇界に大きな衝撃を与える。1989年新宿梁山泊の韓国公演の時に尽力し、氏と氏の主宰する演戯団コリペと新宿梁山泊との交流は現在までも続いている。伝統的を取り入れた独特のメゾットを持ち、小劇場から大劇場まで、その舞台空間を最大限に生かした演出力は海外でも評価が高い。また、映像などのシナリオライターとしても高名である。2003年から3年間、国立中央劇場国立劇団芸術監督として活動し、国立劇団の作品レパートリーの幅を大きく広げた。新宿梁山泊とは2002年日韓共同プロデュース公演『間―HAZAMA』(演出:金守珍/東京、ソウルにて上演)にて共に舞台を創作している。現在、演戯団コリペ代表、密陽(ミリャン)演劇村芸術監督。日本公演も多く、代表作『サンシッキム』('90)、『歳月の恵み』('93年、岸田理生作)、『ハムレット』('99年)、『肝っ玉おっ母とその子どもたち』('07)など。 |
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[タイアップチケット割引きのご案内] |
本公演「リュウの歌」と劇団1980「ええじゃないか」(演出:金守珍 紀伊國屋サザンシアター)公演を
御一緒に御予約のお客さま、一般券に限り、合計額から2000円の割引きをさせて頂きます。
「リュウの歌」3800円+「ええじゃないか」4200円(全席指定席)=8000円 が →6000円になります。
<手順>
「リュウの歌」「ええじゃないか」の観劇日を決定し、
「新宿梁山泊」事務所に御連絡ください。
チケットの合計金額を通常と同じ手順に従って御入金ください。
御入金確認後、両方の観劇チケットをお送り致します。
また、ご予約が無くても、当日どちらかのチケットの半券をお持ちいただければ、
当日料金から1000円割引きさせて頂きます。
*こちらのチケットは一般券のみです、学生券は対象にはなりません。
*こちらのチケットの扱いは「新宿梁山泊」か「劇団1980」のみです。
劇団1980公演「ええじゃないか」
金守珍 演出
於:新宿南口 紀伊國屋サザンシアター
5月7日(水)〜11日(日)
平日19:00/土曜14:00 19:00/日曜14:00 |
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