新宿梁山泊第30回公演
『梁山泊版 どん底 桜貝篇』 |
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[作]梶原 涼・篠藤ゆり/[演出]金 盾進 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||
現代とも未来ともつかない都会の片隅、非合法な商売を営む夫婦が経営する旅館「ドラゴンパレス」では、わけありの人々が人種も国籍も関係なく世間から隠れるように暮らしていた。 小さな均衡を保っていた生活に、やがてひとりの男がやってきて・・・。 2004年春、新宿梁山泊が挑む、漂流するアジアの家族の物語─── |
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4月7日(水)〜18日(日)
於:芝居砦・満天星→地図 中野区上高田4-19-6ゴールデンマンションB2F |
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[料金]全席自由/整理番号付 前売:3000円/当日:3300円/学生:2700円(劇団前売のみ・当日要学生証) | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||
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"どん底 " からの再出発 堀切直人 マキシム・ゴーリキーの「どん底」は明治末以来、日本でも数多く上演され、戯曲の翻訳も息長く読まれてきた。しかし、この貧民群衆劇は、巷からボロをまとった者たちが姿を消した高度経済成長期以降、チェーホフ劇、シェイクスピア劇の盛況と裏腹に、しだいに忘れ去られていき、かつてはどこにも転がっていた翻訳の文庫本も探し出すのにひと苦労するようになった。暗い、きつい、格好悪い、の3Kが毛嫌いされるのと一緒に「どん底」も時代からすっかり取り残されてしまったのである。 昨今、人と人とが顔を合わせて談話を重ねても、なお口に出せぬものがあまた残る。そして、その滓の重みが時とともに増していく。芸術表現の現場はどれだけその滓をさらい上げ、"人身事故"とやらの多発状況にいかに呼応し得ているのだろうか。 "どん底"からの再出発!そういえば、新宿梁山泊は、初期の代表作「人魚伝説」といい、最近では映画「夜を賭けて」、若手公演「楽屋」といい、浮揚力に逆らって"どん底"にへばりつく粘着力を発揮したとき、ひときわ輝きを増したのではなかったか。この劇団が現在、構想しているという「梁山泊版 どん底」3部作は、私たちの胸の底によどむものをさらい上げる一方、彼らの演劇活動の総決算、ライフワークとなるのではあるまいか。 |
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篠藤ゆり(作家) ミジンコの卵は砂漠のような乾燥した地で、干からびたまま何年も命を繋ぐという。そしてひとたび雨が降ると、卵は一斉に孵り、命の饗宴を始めるのである。 1902年、ゴーリキーによってロシアで書かれた「どん底」は、我が国でも多くの役者によって様々に演じてこられた。しかしいつしか人々の記憶から薄れ、ミジンコの卵となってしまった。そして2004年、時代の水を受け、今ここに甦ろうとしている。産婆は新宿の地霊。どん底の精神はインフルエンザ・ウイルスのごとく役者たちの肉体に入り込み、新たなる命を得るのだ。 命を吹き込むのは血に汚れた汚濁の水か、はたまた今にも凍りそうな蒼く冴え冴えとした透明な水か。水底には、赤き血潮に散ってゆく徒花のような桜貝が沈んでいる。わたしの耳は貝の殻。薄く儚い耳は、はたしてどんな時代の音を聞くのだろう・・・。
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(『梁山泊版 どん底 桜貝篇』チラシより)
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「梁山泊版 どん底 桜貝篇」公演は、御好評の内に終了致しました。
遠い道のり足を運んで下さったお客様、誠にありがとうございました。