インパクション133号(2002年11月)
映画
いくつものメッセージ「夜を賭けて」(金守珍監督)  

 役者のひとりひとりから放たれる力強さ。大きな声と激しい動き、思慮深い表情。
 スクリーンは、1945年8月14日の大阪空襲から1958年に時を移す。ヨドギ婆さん(清川虹子)が大阪造兵廠跡地から拾ってきた金属の買い値は高額だった。申大起(申相裕)らが、鉄屑をなんとか持ち出せないかと思案していたとき、伝馬船に乗った金義夫(山本太郎)が集落に戻ってきた。掘り出した鉄屑を小さな舟に積んで猫間川を渡ろうとなり、のちに鉄屑泥棒・アパッチと呼ばれる集団が誕生した。
 警察との攻防の「仕事」明けに、ヤン婆さん(李麗仙)の食堂で働く新井初子(ユー・ヒョンギョン)と義夫の目が合った。ハンカチを落として義夫の気を引こうとする初子と、大事に持ち続けてはそのハンカチの匂いを嗅ぐほどに初子への思いを募らせる義夫は、互いに惹かれ合いながらもなかなか親密になれない。突然、かつて実の父と兄を殺した高山健一(山田純大)がアパッチ集落に戻ってきた。母(樹木希林)にも生き地獄を味わわせる健一だが、銀行強盗仲間を裏切って、札束の詰まったバッグを「オモニに・・・・」と義夫に託した。悩んだ末、バッグを警察に届けた義夫だが、訳もわからぬまま拷問を受ける羽目に陥る。警察署の入口に日参する初子を見かねてか、拷問地獄から救ってくれたのは若林刑事(奥田瑛二)だった。
 日に強まる警察の圧力に、仲間はアパッチ集落を離れていく。初子も去ることになり、義夫と愛を確かめ合おうとしたそのときに、警察の「威信」をかけた手入れがはじまり、集落に火が放たれた。義夫は火の海の中に取り残された老人を助け出していた若林と邂逅する。集落を包む炎は勢いを増すばかりで燃え朽ちてゆく。それでも義夫は倉庫荒らしとして闘いつづける。
 二部構成からなる原作の概ね第一部を基にしている映画『夜を賭けて』には、便所にしゃがみこむ徳山を要所にとらえ、警察との攻防では勇ましくないちょっとどじなアパッチ、夫婦喧嘩・仲間とのののしり合いや警備員との舌戦では、毒気と親しみの入り混じったやりとりなど、ユーモラスな場面がふんだんに盛り込まれている。「私は汚れた女やが、義夫を好きになって、止まっていた生理がはじまった」と初子が身の上話をすると「最初のは血の涙、二度目で女になった」と応える、タカシのオモニと呼ばれる義夫の義母(風吹ジュン)の温かさと奥深さがある。警察が鉄屑泥棒をやめさせるために学校の教師を通してアパッチの子供たちに話し、子供からその話を聞く親の表情にも、原作同様の説得力を感じる。
 その原作『夜を賭けて』は、開高健『日本三文オペラ』、小松左京『日本アパッチ族』のあとの、アパッチ内部の視点から書き直された「アパッチをめぐる物語」のひとつに位置づけられることが多い。第一部が、自らがモデルと思われる登場人物・張有真の目線から成り、梁石日自身の青春物語のにおいがするためであろう。だがより特徴的なのは、第二部において、大村収容所を舞台に設定したことと、その大村収容所の内と外をもってしても分かたれなかった義夫と初子のラブロマンスを見事に描ききったところにある。
 大村収容所は、現在も続く入管行政と難民の人権問題や中国の領事館での事件などを列挙するまでもなく、戦後民主主義のいくつもの矛盾の原点である。日本においては国籍剥奪など朝鮮人を排外する諸法令や民族教育迫害などの諸政策。朝鮮半島では、1948年の南北分断国家樹立や1950年からの朝鮮戦争。日本でのあらゆる差別の状況下で、1954年に北朝鮮から、日本に在住する朝鮮人は北朝鮮の公民であるとする、南日外相宣言が伝えられ、その後の「帰国」運動につながる。日本か韓国か北朝鮮の何処にも納得はいかないが、少なくとも今日はここ日本で生きるのだと、梁石日は豊饒にして豊艶な文体でもって、政治史や社会問題に恋愛や日常生活の襞を織り込み、読者の魂に活を入れるのである。
 映画初監督となる金守珍(劇団・新宿梁山泊主宰)はホームページで、脚本の丸山昇一が原作に忠実に書いたと述べているが、はたしてそうだろうか。映画『夜を賭けて』は書き残される歴史の裏側でなきものとして葬り去られようとしている真実や記憶を背景に、生きることと純愛とを力強く結びつけた原作のエッセンスを限りなく絞り込み、脚本家と監督が解釈を加え、役者がその解釈に正面から立ち向かった新たな作品である、と感じてやまない。
 とりわけ、政治・社会用語を極力約ませながらも、ひしと伝えた家族の離散とその苦悩が心に残る。終盤に、1950年からの朝鮮戦争がもとで日本へ来た初子に向かって、タカシのオモニは「義夫が日本に戻って来たのは、(さらにその前の1948年の)済州島四・三事件で済州島に居場所がなくなったからだ」と語る。日帝支配からの解放と朝鮮戦争の間に発した、半世紀を過ぎてやっと真相究明に動き出した済州島四・三事件を挿入し、ラブロマンスの前提に実はまだまだいろいろな真実があるのだと、観客に緊張感を与える。そのあとに、申大起親子のやりとりが映し出される。北朝鮮へ「帰国」したいという息子を「家族がこれ以上離れ離れになることは許さん」と大粒の涙を流し抱擁する申大起の肩の震えは、健一のパンチを受けただけで勝負をつけた義夫のナチュラルな筋肉美に勝るとも劣らない迫力で訴えた。
 もうひとつ、義夫が時折口にする「十万人に一人」の心優しい日本人・若林の採り入れ方を考えると、なぜか前半の「クレメンタインの歌」の場面が思い出される。詩人・金聖哲の部屋で張有真らと歌ったあとに、「心まで貧しくはない、こういう朝鮮人もおったんや」と話し、義夫なりの固定観念が崩れた瞬間と若林の存在とが呼応するのかもしれない。しかし、「十万人に一人」が目の前に現われても、倉庫荒らしとして闘いつづける。「十万人に一人」は固体の確率ではなく、ひとりひとりの心の中に閉じこもった十万分の一のかけらに訴えるメッセージなのではないか。
 日本人/在日朝鮮人/韓国人という対立図式だけではない心の開き方、それこそが原作者・脚本家・監督・役者を一直線に貫くメッセージのひとつだと思えるのである。

平塚 毅 
 

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