図書新聞2578号(4月20日)掲載
ケノムワッター戦線

梁石日『夜を賭けて』(幻冬舎)が金守珍監督によって映画化された。鉄屑窃盗団アパッチが猪飼野を舞台に大暴れする。これを機に、『梁石日は世界文学である』(ビレッジセンター出版局)の著作もある平岡正明氏に、一番乗りでご寄稿していただいた。なお『夜を賭けて』の公開は、今秋の予定である。(編集部・吉住唯)

 最初にB29と清川虹子が登場する。千機の大編隊である。第二次大戦中の米軍ニュースフィルムである。爆撃機搭乗員たちの会話が重なる。さっさと爆弾落として、帰って酒を飲みてえ、おれは女を抱きてえ・・・。こうして1945年8月14日日本敗戦前日、大阪造兵廠は壊滅する。タイトルあらわれる。『夜を賭けて』。
 13年経った。ある朝、ヨドギ婆さんが買物籠下げて廃虚から出てきた。清川虹子が扮する。婆さん、ここは入っちゃいけない。造兵廠廃虚をかたちだけ番をする守衛が言う。アイゴー、アイゴー。この婆さん、日本語わからないんだ。婆さんは橋を通過する。つぶやく。「わかっとるわい、ド阿呆。」拾ってきた拳ほどの金属塊は四万九千円で売れた。
 この出だし一番で画面にひきこまれる。快調だ。力強い。それもとほうもないその力強さは、自分たちを支配している帝国主義がより強大な帝国主義に敗れるのを見る朝鮮人の眼だ。日本敗戦時の三人の意見をかかげる。
 詩人金時鐘は済州島の家で「玉音放送」を聞いて、「肩震わせてしゃっくりあげた。」ショックでご飯も食べられなかった。そんな親日派軍国少年だった。
 作家金石範は三ノ輪から市電に乗って上野の焼野原を過ぎたところでもんぺ姿の美人が泣いているのと目が合った。金石範はもらい泣きした。すると婦人は声をあげて泣いた。「私は悲しくて泣いたわけじゃない、私のは嬉し涙に過ぎない。(中略)涙は出るんだけどね、一方で笑いが爆発しそうになる。」市電から飛び下りて、「もう天に向かって笑った。あれが私の解放や。悲しいけれども滑稽で仕方がなかったね。そういう8月15日なんです、私のは。」(金石範VS金時鐘『なぜ書きつづけてきたか。なぜ沈黙してきたか』、平凡社)
 金嬉老は少年時代、江戸川の少年院にいて、B29の東京空襲で焼けこげた遺体を集める作業に従事していた。玉音放送があった。「私は最初、天皇陛下の言葉が聞き取れませんでしたが、しばらくして日本が負けたことを知りました。悔しくて悔しくて、涙をポロポロこぼして泣きました。」(金嬉老『われ生きたり』新潮社)
金石範は喜び、金時鐘と金嬉老はくやしがった。方向は逆だが、自分たちを支配していた日本が、より強大なアメリカ帝国主義に負けるのを、日帝腹中にあって見た在日朝鮮人の驚愕は同じだ。衝撃の生々しさをかれらが戦後ずっと持続させてきたことは三者の回想が過去三年以内のものだということでわかるだろう。日本人のほうは忘れちゃったけどね。忘れようとした結果だけどね。
 かれらは忘れていない。梁石日『夜の河を渡れ』の冒頭がそうだった。昼の三時過ぎまで眠っている青年の枕元で、またたきもせず時間を表示しているデジタル時計の青い文字だ。明石標準時間が在日を監視しているのである。男は起きあがってカーテンをひらく。ギラッと明るく、ハレーションを起こすかのように新宿区役所通りの昼下がりがあらわれる。この冒頭の描写は、時間も空間もかれらのものではないということを示す。。
 同じなのだ。自分たちがはめこまれている軍国日本という箱を、外からキツツキのように叩き破壊しにくる米戦略爆撃機を、爆弾喰らったら日本人も朝鮮人も無差別に死ぬという虫の目で見上げている1945年夏のかれらの視線と、すなわち映画『夜を賭けて』の冒頭と、戦争はとっくに終わったが日本の都会生活を第二の自然として(朝鮮の山川草木という第一の自然はかれらにはない)明石標準時間に監視されて、日本市民社会という殻に内側から不機嫌に爪をたてている元ボクサーの視覚にはじまる『夜の河を渡れ』の書き出しは。それを戦後世代の金守珍が第二次大戦のニューズフィルムをあの殺気で冒頭に置くとは思わなかった。先まわりして言っておけば、他国に爆弾落としながら、任務終了後手に入れる酒と女という私有制の言辞を以って殺戮をせせら笑っている爆撃機搭乗員をとらえた金守珍の眼力は、対空砲火なきタリバン軍の頭上にデイジーカッターを投下するB52搭乗員もとらえている。
 ヨドギ婆さんは梁石日原作では、九州の飯塚炭坑で選炭労働していたと設定される。日本敗戦時、九州の炭鉱では坑夫三十数パーセントが朝鮮人。夫を落盤事故でなくし、大阪に流れてきた。地面をひっかいて高価な金属を拾いあげたのは選炭のイメージがある。
 清川虹子は1977年4月の状況劇場筑豊公演に同行しているのである。ボタ山中腹に張られた紅テントで前景気のシンポジウムがあり、唐十郎、五木寛之、赤塚不二雄、三上寛、俺が発言し、清川虹子はパネラーではなかったがその場にいて、芝居を見て、それから九州テレビに出て火野葦平の想い出を語った。火野原作『花と龍』の映画化では彼女は女侠ドテラ婆さんを演じた。雨まじりのものすごい風でテントがゆらぐのを、芝居を中断して役者観客一体となって支えたなんてこともあって、状況劇場のボタ山公演は思い出深いものだった。
 ボタ山公演時点で金守珍は状況劇場にいなかったと思うが、清川虹子の起用は『夜を賭けて』全体に関係する。1958年が浮上してくるのである。兵器工場跡鉄屑盗掘団アパッチ─「在日を生きる」ことを主張する「ヂンダレ」および「カリヨン」結成─三池炭鉱闘争開始─勤評・警職法闘争─ブンド結成という流れである。筑豊と猪飼野を結ぶ底流が存在した。そして首都の安保闘争と呼応すべきものであった。俺はブンドと「ヂンダレ」は平行現象であると思っている。今言ったことじゃない。『梁石日は世界文学である』(1995年、ビレッジセンター)からだ。勤評・警職法という大衆闘争の中でブンドは日共を左から割って成立した。同様に、大衆闘争が前衛を研ぎだすのが猪飼野アパッチの盗掘と六次にわたる警官隊との衝突にもあって、在日朝鮮人を中心に最盛時800人の盗掘者がたがいにだしぬきあってフル稼業するという大衆反乱があったから、「在日を生きる」という立場を朝鮮総連から民族虚無主義と批判されていったんは崩れかけた「ヂンダレ」同人が、金時鐘、梁石日、鄭仁三人の文芸誌「カリヨン」に拠って踏みとどまったのではないか。小説と映画では、金時鐘は金聖哲(佐藤一平・演)、梁石日は張有真(仁科貴・演)として登場する。警官に追われて水に落ち、キンタマを打つ男だ。
 ヨドギ婆役清川虹子、フネ婆役樹木希林、ヤン婆役李麗仙の「三婆」をはじめ、風吹ジュンもヒロイン初子役の韓国女優ユー・ヒョンギョンも、劇団新宿梁山泊の女優さんたちも、みんないい。すごくいい。
 「すごく」と強調したのは『夜を賭けて』は女性映画ではないからだ。むしろ男性映画だ。女がいいというのは男がいいからだ。男がいいのは、いい女が揃っているからだ。この相互性は猪飼野アパッチがコミューンだったと言うことを意味する。
 百姓一揆が感動的なことの一つは、にぎり飯を結ぶ女たちの掌が飯の熱さで赤く腫れることだ。食う米がないから一揆をやる。そして強訴に勝利しても首謀者は処刑されるから、女たちは最後の備蓄米を炊いて水盃代わりの飯を男たちに食わせるのだ。その百姓一揆の全村蜂起をついだものが炭鉱闘争だった。ことに三池に坑夫の軍隊があらわれてからのち、大手炭鉱と中小炭鉱の労働者交流は、補給部隊を担当した女たちの献身によって意気天に沖した。
 天使の如き献身ばかりじゃないぞ。反乱は性と食と芸能にわたって女たちを生き生きさせる。鶴橋にくりだして食材を買う。キムチをつける。濁酒(マッコリ)を作る。内臓料理をつくる。太刀魚を焼く。ああ美味しそうだ。女たちの精気は男たちがガンガン鉄を掘り出すからだ。無償ではないぞ。金をとるぞ。働いて(盗みで)喉のかわきに苦しむ男たちの前に椀一杯の清涼な水。ああ甘露。飲むと金をとられる。朝鮮人は朝鮮人と喧嘩する。喧嘩ばかりしている。女は盗掘に身体を張る男の上前をはねる。マイナスに見える。足の引っ張りあいに見える。しかしそれがプラスに転じるから反乱なのである。
 エネルギーが凄い。暴力が凄い。だから男が美しい。金義夫(山本太郎・演)がドブ川に潜って鉄塊にロープを結んで引揚げに成功した後、杭につかまって息をととのえながら、一瞬にして英雄の表情に変わるところ、義夫が舞い戻ってきた死魚の眼をしたヤクザの健一(山田純大・演)と雨中にたがいにぶっ倒れるまで殴り合う場面、暗闇で警官に遭遇した李三元(平岡延安・俺の息子)が恐怖のあまりスコップで警官を殴り殺してしまう場面、警察署の取調室で仲田刑事(水上竜士・演)が義夫をドつく場面など、暴力がものすごい。さすが金守珍は極真カラテの黒帯だ。暴力で磨きあげて、というとへんだが、ドラム缶風呂につかる六平直政の肥満体やウンコする大久保鷹のしゃがみ姿をふくめて、男優たちの「アジア的身体」が美しい。
 チェッ、紙がない。月が射す闇である。盗掘者たちが蠢く。ターン、照明弾が上がる。スクリーン左手から小さいが鋭く、「ケノム・ワッター(犬が来た)!」と叫びが上がる。光の中をアパッチが蜘蛛の子を散らすように逃げる。「ケノム・ワッター」という声に鳥肌が立った。

(評論家:平岡正明)
 

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